セイラム(英: Salem)は、アメリカ合衆国オレゴン州の州都で、同州マリオン郡の郡庁所在地である。ウィラメット渓谷の中心に位置し、市の中心をウィラメット川が流れる。ウィラメット川はマリオン郡とポーク郡の郡境界線を形成しており、セイラム市のウェストセイラム地区がポーク郡に属している。セイラムは1842年に設立し、1851年にオレゴン準州の準州都となった後、1857年に市として法人化された。
国勢調査が実施された2000年時点での市の人口は136,924人だった。2008年7月1日時点の公式の推定人口は154,510人[1]であり、ポートランド、ユージーンに続く州内第3位の人口規模を構える市である。セイラムは、マリオン郡とポーク郡に及ぶセイラム都市圏の中核都市であり、2000年度国勢調査による広域人口は347,214人であった[2]。2008年の推定都市圏人口は383,100人であり、州内では第2位の人口規模を構える都市圏である[4]。
市内にはウィラメット大学とコーバン・カレッジのほか、チェメケタ・コミュニティ・カレッジがメインキャンパスを構える。また、セイラム=カイザー公立学区の主要都市である。その他、チェマワ・インディアン・スクール、オレゴン盲学校、オレゴン聾学校などが存在する。市内最大の雇用者はオレゴン州であり、最大の民間雇用者はセイラム病院である。輸送機関としてはセイラム=カイザー・トランジットの公共交通、アムトラックの鉄道、およびマクナリー・フィールドでの非営利の航空交通がある。主要道路に州間高速道路5号線、オレゴン州道99号東線、オレゴン州道22号線がある。オレゴン州道22号線は、マリオン・ストリート橋とセンター・ストリート橋がウィラメット川を横断し、ウェストセイラムを結んでいる。
[編集] 地名の語源
セイラムの先住民であったカラプヤ族は、この地をチェメケタ(Chemeketa)と呼んだ。チェメケタは中央カラプヤ語サンティアム方言で"meeting or resting place"を意味する。カラプヤ語による元々の発音はチムィキティ(Chim-i-ki-ti)である[5]。メソジスト宣教師団がチェメケタの平原地帯に移住すると、この新しい集落はチェメケタと呼ばれた。しかしミル・クリーク沿いにあったため、広くはミル(Mill)の名で知られた[6]。オレゴン・インスティテュートと呼ばれる学校が設立すると、この共同体は「インスティテュート」の名で知られるようになった[6]。
インスティテュートの解体後、理事会はその跡地をニュータウン建設用地にする計画を立てた[6]。そのニュータウンを「セイラム」(Salem)と命名した人物が誰なのかは不明である。しかし、マサチューセッツ州セイラム出身のデイヴィッド・レスリー、または1850-1851年に市主要部の区画案を提出したウィリアム・H・ウィルソンが命名したとする説が有力である[6]。セイラムの名称が決定した後も多くの名称が提案された。アサヘル・ブッシュ(Oregon Statesmanの編集者)など一部の人々は、名称をチェメケタに戻すべきであるとした[7]。
セイラム(Salem)は、「平和」を意味するセム語(アラビア語のsalam、ヘブライ語のshalom)から派生した名称である。市役所と市立図書館を収めるヴァーン・ミラー・シビック・センターには、市名を称えた「ピース・プラザ」と呼ばれる公共空間がある[7]。セイラムは、創世記14:18で用いられたイェルサレムの旧称としても考えられている[8][9]。
[編集] 先住民
ウィラメット渓谷には10,000年前から人間が住んでいることが推算されている。カラプラ族は冬になると現在のダウンタウンの東部及び南部の台地に集まり野営していた。彼らは近辺の川や田畑で、釣魚や収穫を行っていた。ユリ科Camassia属の植物(ヒナユリ)の根は生活の要の一つで、カラプヤ族は定期的に牧草地に火をつけ、ヒナユリを生育する牧草地を肥沃にしていた。[10]
[編集] ヨーロッパ人
この地には、1812年と早い時期に最初のヨーロッパ人が到着している。彼らはアストリアの毛皮貿易会社に勤め、動物を罠で捕まえたり食料を収集したりするためにこの地を訪れた者たちであった。
最初に定住したのは、ジェイソン・リーの率いるメソジスト宣教師団(1840年)で、彼らはセイラム北方に位置するウィートランドと呼ばれる土地に共同体を設立した[11]。さらに1842年には、後にセイラムとなる地に、オレゴン・インスティテュート(ウィラメット大学の前進)を創建した。1844年に宣教師団が解体すると、跡地はニュータウン建設用地となった。
1851年、オレゴン準州政府がオレゴンシティからセイラムに移転し、セイラムは準州都となった。準州都は1855年に一時コーバリスに移るが、同年内にはセイラムに戻った。1857年、セイラムは市として法人化した。1859年にオレゴンが州になると、併せてセイラムも州都となった。
[編集] 州会議事堂
現在の州会議事堂は、セイラムに存在した州会議事堂としては3代目にあたる。初代の州会議事堂は2階建ての家だったが、使用開始から2ヶ月後にあたる1855年12月に焼失した。1876年、初代議事堂の跡地に2代目の州会議事堂が竣工した。ギリシャ復興様式による建築物は、部分的にアメリカ合衆国議会議事堂を意識した造形であった。1893年には特徴的な銅製のドームが設置された。1935年4月25日、2代目のオレゴン州会議事堂が火災により焼失した。現在も機能している3代目のオレゴン州会議事堂は、1938年に同地に竣工した。ドームの上部には、「オレゴン・パイオニア」の正式名称を持つ、特徴的な金箔塗りの開拓者の像がある。
[編集] 州博覧会とチェリー・フェルティバル
農業は古くよりセイラムの重要な産業であり、歴史的に様々な形で褒め称えられてきた。1861年、オレゴン州農業組合はオレゴン州博覧会の恒久的開催地としてセイラムを選んだ[12]。セイラムの愛称は「チェリー・シティ」であるが、これはかつてチェリー栽培が市の産業で重要な位置を占めてきたことに由来する[13]。1903年にはセイラムで第1回チェリー・フェスティバルが開催された。チェリー・フェスティバルはパレードの行進とチェリー・クイーンを目玉として毎年開催されたが、第一次世界大戦が終わると間もなくして終焉を迎えた。この行事は1940代後半にセイラム・チェリーランド・フェスティバルとして復活し数回開催された[14]。
[編集] 地理と気候
ウィラメット渓谷の中北部に位置しマリオン郡とポーク郡の両郡に跨る。北極と赤道の中間にあたる北緯45度線が市内を貫いている。
アメリカ合衆国国勢調査局によれば、市の総面積は46.4 sq mi (120 km2)で、その内45.7 sq mi (118 km2)が陸地で、1.35%にあたる0.6 sq mi (1.6 km2)が水面である。
セイラムには有名なウィラメット川も流れているが、飲料水の主要水源として機能しているのはノース・サンティアム川である。他ではミル・クリーク、ミル・レース、プリングル・クリーク、シェルトン・ディッチが市内の重要な水路として存在している[15]。市の東部にある小さな水路にクラーク・クリーク、ジョリー・クリーク、バトル・クリーク、クロイサン・クリーク、クラジェット・クリークがある他、ウェストセイラム地区を流れる水路にグレン・クリークとブラッシュ・クリークがある[15]。
市域の標高における最低点は 37 m (120 ft) で、最高点は 240 m (800 ft) である。市南部にはセイラム・ヒルズと呼ばれる火山があり、西方の 300 m (1,000 ft) のエオラ・ヒルズと、東方の 180 m (600 ft) のウォルド・ヒルズの両山の間に位置している。セイラムの北部および東部はそれほど丘陵性ではないが、南部および西部には峡谷もあり、市内でも最も標高の高い地域である。市内全域でフッド山やジェファーソン山を始めとするオレゴン海岸山脈、カスケード山脈の山々を眺望することができ、さらに晴れた日にはセント・ヘレンズ山を見ることもできる。
ウィラメット渓谷の全域に共通することであるが、セイラムの気候は、地中海性気候に一部特徴が共通する西岸海洋性気候である。晩秋から冬季にかけて特に降雨量が多く、一年を通じて降水がある。例外として、6月下旬から9月初頭にかけて短い乾季がある。冬には軽い降雪があるが、激しい降雪は稀である。長期に渡る雨季には濃霧や曇天、また雲底が低くなることが日常茶飯事に見られる。
セイラムの年間平均気温は 11℃(52°F) である[16]。年間降水量は1,000 mm (40 in)である。セイラムはポートランドの南に位置するが、セイラムの年間平均気温はポートランドのそれより低く(ポートランドの年間平気気温は13.6℃(56.5°F)である)、これは最低気温がセイラムの方が低いことに起因する[17]。
| 月別平均及び過去最高最低気温 |
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
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| 過去最高 ℃(°F) | 18.3 (65) | 22.2 (72) | 26.7 (80) | 31.1 (88) | 37.8 (100) | 40.6 (105) | 42.2 (108) | 42.2 (108) | 40.0 (104) | 33.9 (93) | 22.2 (72) | 20.0 (68) |
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